徒然日記

一人暮らしが大好きな社会人が、ごはんつくって、おいしく食べて・・・幸せ感じた瞬間や仕事・趣味・生活に関するあれこれを、マイペースに綴っています。

歴史は知らず知らずのうちに繰り返されるっていうけど

 

「近年の環境政策先の大戦の戦時中の政策って、ちょっと重なる部分があるのかしら?」

 

って思ったところから端を発して、今日のブログは始まっております。

 

突然何だ!?って感じだと思うのですが、ある研修中に、ふと頭に浮かんだことがありまして。

なんとなくメモメモしているところです。

意味はあるような、ないような。

かなり頓珍漢なことを言っている可能性が高いんですけどね。

 

 

よく言われる言葉に、「歴史は繰り返す」という格言?があると思うのですが

今日受けた講義を聞いているうちに、それと似たようなものを感じまして。

 

人は案外自分がその渦中にいると、歴史を繰り返していることに気づかないものなのかもなぁ、なんて思うわけです。

 

ちなみにこの日聞いていた講義の内容は、現在多くの国が総力を挙げて取り組んでいるCO₂排出量の削減に関するものだったのですが

ざっくりいうと、これからは世界共通で定められた目標に沿ってCO₂排出量を削減し、気温上昇を防がねばならない、それが次世代の新たなルール(枠組み)だ、ということのようです。

そしてそのためには、極力無駄なエネルギーを使わないよう、環境に負荷をかけないよう、官民総出で目標に向けて取り組まなければならない。

これからの時代は、企業も投資先も、CO₂を出さないよう自然エネルギーを活用し、環境に配慮して活動できるところが評価され選ばれるようになるのだと。

普段生活していて全く意識していなかった発想が降ってきたため、少し考えてしまいました。

そういえば昨年は、大人たちに温暖化の危機を訴えたグレタさんという少女の名前が、テレビを通して何回も耳に入った気がするなぁ。

 

関連して頭に浮かんできたのが、先の大戦で戦時中に物資やら人的資源やらを総力戦のために国が運用していた時代のことで。

贅沢は敵だ」なんていう標語は学校の授業でしか聞いたことがないし、二宮金次郎の像をもっていかれる場面なんてドラマでしか見たことがないので、どこまで真実かわからないんですけど。

国民1人1人が、国同士の競争のために物資の利用を抑えていた時代があったとしたら

 

なんとなく現在の環境問題に対する動きも、少しこれと似たところがあるのかな??と思ってしまったわけです。

いや、厳密に言うと全然違うと思うんですけど。

 

少し前に読んだある本の中に、「20世紀の世界が核兵器で争われた時代だとすると、21世紀は環境の世紀になる」と書かれていて。読んだときにちょっとした衝撃を受けたのですが、その記憶もざぁっと蘇ってきて。

 

確かに言われてみれば、少し前の時代から、空調・交通手段・物の包装などあらゆる面で温室効果ガスを伴うエネルギーの使用を節制し、再エネで補おうという動きが浸透してきているように思います。国民1人1人の行動に、じわじわと。

 

車や空間をシェアしてエネルギーの使用を抑えよう

ごみは出さない

ビニール袋有料化&エコバッグ利用推奨

プラスチックごみを減らそう

空調は、夏は28℃で冬は20℃に設定しよう

気づけばどこでもふと目に入る省エネルギーのPRポスター。

ポップなものが多いので、あんまり強制されている感じはしませんが。

 

その背景には、温暖化により人類の生命が脅かされるという危機感があると思います。ただ、本当にそれだけなのだろうか?と。

現在はエコ啓発のためのイベントや活動も大々的に行われますが、極端な話、人が活動しないことが究極のエコな気がしてしまうので、腑に落ちなくて。

 

もし世界が戦いの場を核や武力というものから環境という分野に移したのだとすれば

近年積極的に推奨されている環境政策の意味や理由がしっくりくる気がして。

全く気づかないうちに、過去歴史で繰り返されていることと同じ争いの渦中に、自分たちはいるのかもしれない、と思ったりしたわけです。

 

エネルギーの使用を管理し、CO₂排出量をどれだけ削減できるかという競争。

目標より多く削減できた国は、その分CO₂を排出する権利を売ることができ

目標を達成できなかった国は、オーバーした排出量分の権利を買う

なかなかナマナマしい取引だなぁと思ってしまいますが

武器を使って直接戦っているわけではないし、一見平和的で人類全体に寄与するとされる、新たな目標が脚光を浴びています。

現代の人々は過去の戦時中を、人々が苦しめられて悲惨な目にあった時代なんて言っているけれど

今を生きる私たちも、後世の歴史家から「エネルギーの利用や選択肢を管理された悲惨な時代の人々」として書かれたりするのかなぁ?

なんて馬鹿みたいな想像したりして。

 

いずれにせよ、過去にも何か別の形で同様の事例がないか、探してみたいなぁと思いました。

これから世の中がどう動いていくのかが、見えるかもしれないし。

 

確実にわかるのは、今日講義をしてくれた先生はこんなことを伝えたかったんじゃない、ってことですw

とりとめもない呟きでしたとさ。