ひっさびさに作りました(^^)/
家にじゃがいもも玉ねぎも人参もなかったので、わざわざ材料を買い揃えて
つくったカレーライス。
小さな鍋しかなかったので、大した量はつくれませんでしたが、それでも余るのなんのって。とりあえず冷蔵保存して、明日もカレー決定です。
材料を切る時、案の定玉ねぎさんには泣かされました。
みじん切りではなかったのに、泣きました。
一説によると、玉ねぎを切ると鼻の孔から目まで玉ねぎの何かが辿って涙が出るそうなので、鼻栓をするのがよいのだとか。
ただ、そんなものはもっていないので、玉ねぎを切る時は極力鼻から呼吸をしないようにしています←
まぁそれでも結局泣くんですけどね。
今回はじゃがいもとにんじんの柔らかさや煮込み具合が抜群によかったです。
いつも煮込みが足りなくて、イモはイモ、にんじんはにんじん、っていう感じで野菜臭さが残ってしまうのですが、弱火でコトコト煮込みまくったことでうまくルーと溶け合い、それはそれは美味しいカレーになりました。
今回は豚肉でつくりましたが、次はチキンカレーにしてみてもいいかも。
料理って我慢が大事だなぁ、とたまに思うことがあります。
早く食べたい気持ちに負けてしまうと、結局材料を無駄にしてしまうことが多い。
失敗を積み重ねて、最近ようやく学んできました。
さて、カレーを食べている間も、ホームシアタータイムは健在です。
この日見たのは大ヒット中のあのアニメ、そう、「進撃の巨人」。
何回見てんねん、どんだけ好きやねんって言われてもしょうがないくらい繰り返し繰り返し見ているこのアニメですが、実は自分が初めて就職した会社で挫折・退職し、もう二度と立ち上がれないだろうというくらい精神的にも肉体的にも瀕死のダメージを受けた時に、再度立ち直るきっかけをくれたアニメがこの「進撃の巨人」でした。
今の自分がいるのは諌山先生のおかげといっても過言ではありません、本当に直接お礼がしたいくらいです←やめろ
なぜこんなにも惹かれるのかというと、セリフ回しやら世界観やらキャラクターやらいろいろ要素はあると思いますが、1番は進撃の作者が人間を割と動物的に捉えており、人間ならば誰もがほとんど本能的に理解できる感情の動きがふんだんに描かれていることにあるのかなぁと思っています。
人としてあるべき(と思われる)正しい理想の姿ばかりを映した夢のあるアニメが多い中で、これでもかというくらい人の弱い部分や情けない部分、恐ろしい部分や汚い部分をも描いていて、とにかく感情移入しやすい。
誰もが死ぬ直前には泣き叫ぶし足掻くし、静かに命を落とすことはない。他の生物と一線を画して理性的に人間を捉えるのではなく、どちらかというとホモ・サピエンスとして捉えている、とでもいうのでしょうか。うーん、語彙力が欲しい。
ただ、子供の頃に楽しんでいたアニメとは明らかに毛色が違くて、その内容の深みといったら作者一体何歳ですか?年齢サバよんでないですか?って思うくらいです。
※以下若干のネタバレあり&個人の感想と解釈になります。そして細かい描写やセリフはうろ覚えですごめんなさい
個人的に好きなエピソードが、ユミルとクリスタというキャラクターの生き方を描いたお話。
その内容からは、「人のために生きるか、それとも自分のために生きるか、それはどちらが望ましい生き方なのだろうか」という大変深いテーマが浮かび上がってきます(と自分が勝手に思っているだけなんですけど)。
ユミルは、粗暴で思ったことや言いたいことは何でも口に出すし、人を罵るわバカにするわでやりたい放題、自分の大切な人以外知ったことか、とにかく自分は生きたいように生きるのだと決めている人物。
一方でクリスタは、常に周りの人々のことを考えて行動し、上官に罰せられて体力を消耗し倒れた同期のためにパンを差し入れたり、虫の息の兵士を救うために彼を背負って雪山を超えようとするような、心優しい人物。その自己犠牲と聖女っぷりと言ったら、ユミル曰く「自分がどうやって死んだら周りは喜ぶのだろう」ということまで意識がいってしまっているほどです。
進撃の巨人の面白いところは、様々な思想をもった人物を、誰かに肩入れすることなく淡々と描いているところにあるのかなぁと思います。
ユミルはクリスタを「かつての自分と同じであり、自分に嘘をついて生きている」と見抜き、そんな生き方をばっさりと切り捨て彼女に「自分のために胸を張って生きろ」と言います。
なぜユミルがクリスタに突っかかるのか・・・はじめは見ていて不思議に思っていましたが、
ユミルはかつて大勢の人々に必要とされることが嬉しくて、人の役に立つために自らの人生を捧げて危険な役割を演じ、そして命を落としたことがあるんですね。
詳しくは割愛しますが、その大勢の人々は、孤児であったユミルを都合よくある宗教の象徴として利用しただけに過ぎず、ユミルは彼らを守るためにその役割を最後まで演じたものの、危険思想として憲兵に目を付けられてしまい、結局誰も守ることが叶わぬまま処刑(巨人化)されてしまいます。
そしてユミルは考えます。
これは、自分に嘘をついたことへの罰なのだと。
そして、人間から巨人に姿を変えられてしまうその瞬間、
「次に生まれ変わることがあれば、今度こそ自分のために生きよう」と決意するわけです。
そして、ここが作者の素晴らしい手腕だと思うのですが、ストーリーが進むうちに、対照的な人生観を持っていたユミルとクリスタが、なんと最後には全く正反対の生き方を選択することになります。
常日頃自分の心に正直に生きる、自分のために生きると決意していたユミルが、
最後には他人を守るために、大好きな人と逃げて生き延びる道ではなく、敵のために戦って命を落とす道を選び、
クリスタはそんなユミルの生き方を見届けた後何かに目覚め、自分の心に従って生きるようになっていくんですね。
クリスタがいつも浮かべていた聖女のような笑顔はなくなりましたが、それでもそんなクリスタにこの漫画の主人公のエレンは「今のお前の方がよい、昔は無理して笑っているみたいで気味が悪かった」というようなことを言います。
これが何を意味しているのか。
人間が外に見せている行動や言動は案外本質と真逆だったりするのかもしれない、とか、人は自分にない正反対の生き方を無意識に求めているのだろうか、とか、窮地に陥ったときにこそ人間の本質が出るのだろうか、とか、いろいろと考えてしまいます。
が、これを見た当時の自分は、「人の生き方は、人のために生きることだけとは限らない。責任をとれるのであれば、自分のために決断し、生きていくことも1つの生き方である」と言われたような気がして。
人の役に立てず、自分では何もできず、世間の中での自分の価値について悩んでいた時にこのエピソードを見て、人生観が大きく転換したような気がします。
今でも時々、大勢の人と関わる中で自分が消耗してすり減ってしまうのを感じた時は、このユミルとクリスタのエピソードを思い出すのです。
と、そんなことをカレーを食べながら考えておりました←
もはやカレーよりもホームシアターの感想の方が長くなってしまった(;'∀')
映画のカテゴリー作ろうかな。